活動内容

  • 災害について・・・(災害関連死のシンポジウムに参加してきました)。

    2014.09.04

    さて、9月に入りました。

    朝夕は少し涼しく、過ごしやすくなりましたね。

    夏休み明のけだるさも、この涼しさが助けてくれているようにも思います。

    今日は、日本弁護士協会様が主催した「災害関連死」に関するシンポジウムに参加してきたご報告をさせていただきます。

    今、世界中で色々な災害が生じていますね。元医療職として今心配している災害は、エボラ出血熱です。大分、多くの方が早い段階でとても辛い亡くなり方をされます。エボラの株ではないのですが、大分前に出血熱での方のケアに少し関わった事があります。 これからの国単位での広がりがどの様になっていくのか・・・・きっと、とっても急いで予防接種を眠らずに開発している人も居る事と思います。目の前に惨劇に立ち向かっている方々や、心配しながらその仕事を支えるご家族の方。どれだけ人を投入しても足りないくらいになっているのでしょう。

    どうか、早く収束の希望が見えます様に・・・。

    自然の前に人はとても無力であることを知らされます。

    亡くなられた方の数を知ると、どうしても東北大震災の方々の数と心の中で比較をしてしまう自分がいます。

    東北では、本当に少しの時間で想像も出来ない方々がその命を海にもっていかれました。そして、その後も関連する要因で命が失われています。

    講演の中で南相馬市の市長様が「市民を避難させなければならない。同時に、受け入れさきを自分で探さなければならない。そんな中、どんどん遺体が上がってくるんです。」と、お話をされたことが強く印象に残っています。とても、言葉を選びながらお話ししていたご様子です。堪らない気持ちや何とも言えない衝動をおさえながら、津波と原発の怖さを体験していない人たちに伝える使命を持っていらっしゃるのだと、感じました。

    私は、看護師人生が救急救命という命の瀬戸際から始まりました。その後も集中治療室、脳外科急性期など瀬戸際でのケアが多い職場でした。

    自分が住んでいる同じ地域の人の死を、一日に何回も体験をする職業です。 人の死を見過ぎることは、精神的に負担が大きく、悪夢を多く見るようになったり、衝動をうまく抑えられずに人との距離を取る様になったことがありました。どうして、耐えられるようになったのかというと、看護師といえども人であって、それ以上でもそれ以下でもない。そうなる自分を認めることと、看護職の最大の理念:ナイチンゲール誓詞があったことでした。これは、職業としての使命を表したもので、多くの看護職を心の奥でつなぐ言葉でもあります。

    私の体験とは比べ物にはなりませんが、人の死を多く見過ぎることは生命として困難を抱えることになると感じています。福島の方々は3年が過ぎても沢山の困難は現在進行形でさらに変容しながらも回復までたどり着いていないことを知りました。辛い体験をされるとその経験を活かし、同じことを繰り返さないことが残された方の使命になることが多く、生きる希望になります。

    私に何が出来るかと考え続けていますが、あまりに大きな体験を持った方々にその辛さの解消まで出来る支援を持ち合わせていません。ただ、その体験をしっかりと聞き愛知県で活かしていく、同じ状況になってもその教えが活かされて繰り返さずに済んだ。この未来が希望につながる可能性が、あるかもしれません。

    支援をしに行くのではなく、教えて頂きに伺えればとおもいました。